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中島俊一 (ボクサー) : ミニ英和和英辞書
中島俊一 (ボクサー)[なかじま しゅんいち]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [なか]
 【名詞】 1. inside 2. middle 3. among 
中島 : [なかしま, なかじま]
 【名詞】 1. island in a pond or river 
: [しま]
 【名詞】 1. island 
: [じゅん]
 【名詞】 1. excellence 2. genius
: [いち]
  1. (num) one 
: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

中島俊一 (ボクサー) : ウィキペディア日本語版
中島俊一 (ボクサー)[なかじま しゅんいち]

中島 俊一(なかじま しゅんいち、1961年3月2日 - )は、日本プロボクサー経験者。第12代日本ジュニアバンタム級(現:スーパーフライ級)王者。茨城県日立市出身。日立第一高校明治大学卒業。現在はBoy's水戸ボクシングジム会長を務める。
== 来歴 ==
明治大学でボクシング部に入部し、ボクシングを始め、卒業後、ヨネクラジムに入門。
1984年6月12日、プロデビュー(3回TKO)勝ち〔BoxRecによる戦績 〕。
1985年9月24日、7戦目で日本王座初挑戦。空位の日本ジュニアバンタム級王座を丸尾忠と争うも、10回判定負け(プロ初黒星)。
1987年8月29日、OPBF東洋太平洋ジュニアバンタム級王座挑戦。王者鄭炳寛(韓国)に挑むも、12回判定負け。
1988年3月1日、2度目の日本王座挑戦。西川浩二と空位の日本ジュニアバンタム級王座を争い、10回判定勝ち。王座獲得に成功。その後、6度の防衛に成功し、世界ランキングもWBA2位にまで上昇。
1990年6月30日、日本王座在位のまま世界初挑戦。敵地でWBA世界ジュニアバンタム級王者カオサイ・ギャラクシータイ)に挑んだが、8回TKOで敗れ王座奪取ならず。しかし、強打の王者相手に(レフェリーストップがかかるまで)1度もダウンを奪われることはなかった。
1990年10月15日、再起戦となった日本王座7度目の防衛戦で当時20歳の新鋭・鬼塚勝也(当時、WBA世界ジュニアバンタム級8位)と対戦し、最終10回TKO負け。王座を手放した。
1991年3月18日、雪辱・王座返り咲きを懸け、鬼塚と再戦するも10回判定負け。王座返り咲きを果たせず、この試合を最後に引退した。
最終戦績は23勝(13KO)7敗。
引退後はヨネクラジムトレーナーおよび会社経営を経て、現在は茨城県水戸市にBoy's水戸ボクシングジムをオープンさせ、会長として後進の指導に力を入れている。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「中島俊一 (ボクサー)」の詳細全文を読む




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